わざわざこのページを見に来るような、コアなD&Dファンの方々にとってはいまさらご紹介するまでもないかと思いますが、D&D3.5版における最高傑作と名高い『赤い手は滅びのしるし』を、アイドル・マスターのキャラクターを架空のプレイヤーに見立てるという方式でリプレイ動画にされた方がおられます。
2009年の9月にスタートしたこのシリーズが、連載期間1年3ヶ月、全27本(!)という大作として、ついにフィナーレを迎えられました。
(これに加えて「導入」の約1年前に「予告編」がアップされています)
こちらが導入
そしてこちらが最後の1話「完結+後日談」
いや実に面白かった。そして、制作者のバイタリティに圧倒されました。
こういう動画の作成を可能にする各種ツールの発達、動画を気軽に発表できるニコニコ動画という場の発展。
そういう前提が整って来た時代である、ということを差し引いても、この動画の作成に込められた情熱と作業量はすさまじいもののはずです。
いやはや、脱帽するしかありません。
そしてこのリプレイは、僕にとって非常に衝撃的な体験となりました。
まず面白かった。とにかく面白かった。
友人知人にプロ作家としてリプレイを発信している人もいるなか、こう言い切っちゃうと各方面からおしかりを受けそうな気もするのですが、それでもあえて言います。
今までに体験したTRPGのリプレイの中で、少なくとも僕個人にとっては、
いちばん面白く、そして衝撃的な作品でした。
さて、じゃあなんでそんなに楽しめたんだろう、と考えるとですね、おそらく大きな要因は3つくらいあります。
(以下はあくまで「僕が個人的に楽しめた理由」。そして『アイドルinエルシア』はそんな小理屈を読まなくても楽しめる作品ですから、面倒な人はこの後はすっとばして、とにかく動画のリンクに直行して下さいw)
・「自分が実際に遊んだキャンペーンのリプレイであったこと」
これはでかかった。はっきり言って目から鱗でしたね。
リプレイってのはたいがい、それ専用のシナリオを作ってプレイして、それを元に書かれているわけです。まあそこには当然、売ってるシナリオのリプレイをやっちゃうとこれから遊びたいプレイヤーさんは読まんだろうとか、GMもネタバレの危険があって嫌だろうとか、そもそも特定のシナリオという商品を持っていることを前提とした商品は企画として通り難いとか、そういう事情や配慮があるわけですが。
ただ、「新しい物語」の「読み物」であると考えた場合には、別にTRPGのリプレイじゃなくても良いじゃない、と感じてしまうことがあるんですよ。小説、漫画、ドラマ、映画、等々は純粋に「新しい面白いお話を読ませる/観せる」のが目的ですから、創作物として素直に完成度の高い作品がゴロゴロ転がってますし。
もちろんリプレイには、対応するTRPGの世界観を伝えるとか、TRPGを遊んでいる「楽しそうな雰囲気」を共有させるとか、そういうまったく別の役割もあるわけですが。
僕はその部分に関しても、どうにもTRPGのリプレイに「物足りなさ」を感じていました。なんといいますかね、リプレイ専用に作られたシナリオのリプレイを見せられても、今後そいつを実際に自分で遊ぶことはないだろうから、あまり興味をひかれない。
あとTRPGってのは水物で、用意されたシナリオが同じであっても、そのときどきのメンツがどうするかによって、ぜんぜん違った展開を見せるわけです。だから読み手の目にさらされない(リプレイのGMしか知らない)特定のシナリオから発生した「1つのプレイ結果」だけを見せられても、あんまりプレイングやマスタリングの参考にはならない。GMが準備していたシナリオに対し、プレイヤーがもっと別のアプローチをしていたらどうなったのか、そのあたりが見えにくい。
あるいは既製シナリオにおいて「運用に悩む」ぶぶんをDMがどうこなしていくのか、そういったテクニックも見えてこない。
これがウォーゲーム、カードゲーム、ボードゲームとかの他のアナログゲームのリプレイ、あるいはビデオゲームの実況やプレイレポートなんかですと、もっと技術的に参考にできる部分が多いのですが。
ところが『アイドルinエルシア』は、僕が実際にDMとして冒険シナリオの内容を読み込んで、プレイヤーがなにをやったらなにが起こりうるのか、DMがどういう対応をとりうるのかという裏側もぜんぶ知っていて、
しかも実際に半年くらいかけて実際に走らせたキャンペーン・シナリオのリプレイだったわけです。
いままでに、こういう出会いはありませんでした。
で、面白かった。とにかく面白かった。問答無用で面白かった。
まあまず、自分が実際にそれなりの年月と労力を費やして遊んだ、いわば人生の一時期、生活のかなり大きなぶぶんを占めていた冒険シナリオであるというところで、「観たい」という衝動の起こり方がぜんぜん違いました。
自分たちが遊んだあの冒険に、うちのプレイヤーさんたち必死でくぐり抜けたあの危難に、この人たちはどう立ち向かっていくんだろうか、そこに興味がわきました。
そして実際にリプレイが進むと、なにしろシナリオの中身や「しかけ」を知っているもんですから、まんまと罠にひっかかるPC、新たな真実を知って愕然とするプレイヤーのリアクションを観ては「あるあるw」と楽しめる。
また、参考にもなりました。
なにしろ僕は、シナリオに「なにが書いてあるか」も「なには書いていないのか」も全部知っているわけです。おかげで、ああなるほど、DMの運用テクニックとしてこういうのもアリか、ああ、この状況に対してこう対応するプレイヤーさんもいるのか、と参考になるぶぶんも多い。
結果として「リプレイ専用に作られたシナリオのプレイ結果」を見せられるより何倍も、DMとして、プレイヤーとして、学ぶところや得るところが大きかったと言えます。
・「アイドルマスターのキャラクターを使用したスター・プレイヤー・システム」
TRPGリプレイという作品には、2つのレイヤーで「登場人物」が存在します。片方はTRPGセッションの「中」に登場するPCとNPC。そしてもう一方は、セッションを遊ぶプレイヤーたちとGMです。
で、作品の登場人物ってのは、キャラが立っていて、かつそのキャラの把握が素早くできるというのが、かなりの利点になります。キャラが立ってなきゃ面白くないですし、キャラ紹介に時間をかけていたらダレます。ただでさえ「PC」や「NPC」のキャラを説明する手間があるのに、プレイヤーとGMのキャラ立てまで必要。これがけっこうリプレイでは辛いわけです。
ところが、『アイドルinエルシア』では、「プレイヤー」と「GM」いう「登場人物」をアイマスの有名キャラクターたちに「演じさせる」ことにより、一気にキャラ立てを行なってしまったわけです。
えー、実のところ僕はアイマス関連のゲームを直接プレイしたことは一度もありません。ですがなにしろ(少なくともニコニ動画では)露出の多い作品ですし、登場キャラクターを題材にした動画なんかもそれなりに見ていますから、なんとなくメジャーなキャラクターは把握しております。またWikiPediaやニコニコ大百科なんて便利なものがあるおかげで、簡単に各キャラのプロフィールやいじられ所を把握することができます。
おかげで、このリプレイ内で「真」や「雪歩」についての説明がまったくなくても、いきなり「プレイヤー」と「GM」のキャラをつかみ、親しみを持つことができました。これはなかなか、商業リプレイでは真似ができないw
もちろんプレイヤーやGMというキャラクターの描写は控えめにし、「PC」と「NPC」の描写にのみ注力するという手法もあるでしょう。しかしそれですと、「参加者がゲームをプレイし、楽しみ、決断を行なっている描写」は薄くなります。TRPGセッションの「中の世界」で行なわれたPCやNPCの「決断と行動」しか残らないのです。
また卓を囲むメンツとして「フィクション上のキャラクター」を立てることにより、ある意味「生々しさや違和感(たとえばムクツケキ中年男性が美少女キャラを演じるとか)」を減じさせたり、プレイヤーにコミカルなリアクションや激しく感情的な演技をさせても嫌味を感じさせなかったり、といった効果もあったかと思います。
・「ヴィジュアル・リプレイの可能性」
いやまったく、やられたなー、と思いました。
ご存知の通り、TRPGというものは主に出版物として展開してきたわけです。メディアミックスを行なった作品は多々ありますが、それはあくまでも「TRPGを原作としたアニメ作品」とかであって、TRPGそのものや、TRPGのリプレイが映像作品であったということは、ほとんどありません(カードゲームに関してはけっこう試合の記録映像とか、チュートリアル動画なんかを作ってるんですが)。
昨今はTRPGのルールブックそのものに関しても、電子ブックなど紙の本以外の媒体の模索が始まっています。しかし実のところルールブック以上に「媒体の制約」を強く受けていたのが、リプレイなのではないかと思います。
リプレイでは可能な限り
・プレイヤー/DMという参加者の言動や決断の描写
・PC/NPCという「TRPG世界の中の登場人物」の言動や決断の描写
・TRPGの中の世界の描写
・ルールの具体的な運用の描写
こういったことを全部行ないたいわけです。しかし、いかんせん書籍、しかも主に文章で構成されたリプレイによって、これらすべてを判り易く、バランスよく表現するというのは難しい。
書籍でもそうですが、特に雑誌連載のリプレイなどは、常に紙面の量、イラストや図表の占める面積などとの戦いを強いられます。
その点、動画を用いたリプレイというのは凄いものです。
PCが動いて何かを行なっている描写と、担当プレイヤーの発言やリアクションの描写を同時に映し出すことができる。
DMが状況描写を行なっている背景に、そのとき描写されようとしている場面の映像を映すことができる。
ゲーム上のデータも豊富に表示することができる。
そしてD&Dのようにタクティカルな戦闘を行なうゲームでは、ターンごとにどうPCが行動したのかを、画面上の動きとして描写することもできる。
ダイスやカードといった乱数発生装置が思いもよらぬ結果を生み出した、そういった一瞬のできごとすらも、動きのある描写によってドラマチックに演出できる。
加えて演出を上手くやれば、これら全部を詰め込んでも「だれない」作品を作ることができる。
これは画期的です。
商業でやろうとした場合には、単に技法というだけでなく、コストや労力といった面で難しい事情はあるのですが。
それにしても、ことリプレイという面においては、すでにユーザー・サイドのほうが、プロの側をはるかに追い越してしまったのではないかとすら思いました。
元来TRPGというのは、ユーザーの手に委ねられるぶぶんの大きい趣味です。商業作品として送り出されるルールブックやシナリオは、あくまでもユーザーが楽しく遊ぶための「遊び道具」 それらをユーザーが実際に使って遊び、ゲームを体験することによって初めてゲームが完成するものなのです。
そしてそのぶん、ユーザーが創造性を発揮する余地のある趣味であるとも言えます。
今後もこういったリプレイに限らず、まだまだいくらでも、制作者サイドの想像を越えた面白い試みが飛び出して来るのかもしれません。
次はいったい、どんな怪物が現れるのでしょうか。TRPG業界の一端を担うものとして、いや1人のTRPGマニアとして、期待をせずにはいられません。
2010年12月09日
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